ももいろクローバーに対する個人的見解

私はももいろクローバー*1が好きだ。いや、大好きだ。
しかし、彼女たちに関心を持つようになったのは、ほんの一週間ほど前からに過ぎない。
それまではももクロというアイドルグループが存在することは知っていたが、誰が誰だかわからないという程度の認識でしかなかった。
だが、とあるきっかけにより、某動画サイトで「あの空に向かって」の路上ライブを一目見た時に落涙し、大事なみっつの「君・夢・友情」を抱えて2011年4月10日に向かう6人の少女たちが見せる「気合根性満開情熱全開」の「覚悟」に戦慄し、紅白の向こう側を見せつけてなお走り続ける彼女たちを目の当たりにしてしまった。

なぜたった一週間でももいろクローバーというアイドルの虜となったのか、その魅力について自分なりに感じたことを、備忘録としてここに記しておきたい。
興味を持っていただいた奇特な読者に留意してほしいのは、以降の拙文は、あくまでも私がももクロに惹かれた理由を記述するだけだということである。
社会学的な解釈にも、アイドル論的解釈にも、関心がないし、文献に当たっても、調べてもいないし、記述する知識も教養もない。
一般的な解釈とは違うのかもしれないし、ももクロという「怪物」のもつ数多ある側面のほんの一部に過ぎないのだと思う。
ももクロを知って1週間のにわかモノノフがなんか言ってるわーというくらいの生ぬるい視線でお読みいただければありがたい。
また、事実関係や内容に誤謬などがあるかと思うのでご指摘ください。
先輩モノノフから私の知らない興味深いももクロ論など、ご紹介いただければ幸甚の極みです。ぜひ読みたいので。


結論から言おう。


私は「ももいろクローバーがmortalな存在だから」好きなのだ。


ポジティブで直截的な歌詞も、ポップでエネルギッシュな楽曲も、ライブで見せる全力のダンスも歌も、全部大好きだ。
だがそれらは、すべてももいろクローバーがmortalな存在であることの発露に過ぎない。


本来、アイドルは永遠(immortal)な存在である。
その美しさや可憐さ、そして若さは、偶像として、神聖さを帯びることにより、ある種の「永遠な」存在となる。
具体的に例示するならば、「永遠性」を獲得するために、汚い話だが、排泄をしないとか、異性交遊を禁じることによる純潔とか、およそ実在しえない超越的なフィクションを「装身具」として身にまとうことによって、「永遠(immortal)」な存在となるのが通例だった。
彼女たちが、そうした存在としての神格性を帯びていないとは言わないが、某アイドルユニットとは異なり、それがももクロももクロたらしめる必要条件とはなっていない。

一方、ももいろクローバーのパフォーマンスは、従来のアイドル像から逸脱するものであることは論をまたないだろう。
あえて換言するならば、彼女たちは存在として神格性を帯びることではなく、全力のパフォーマンスによって神格性を獲得しているのだ。
あたかも、甲子園を目指す高校球児が青春を賭けてひたむきに白球を追う姿に、神々しさを感じるように。
つまり、彼女たちの見せる気合や根性や覚悟や情熱といった情念が、immortalなのだ。
その気合や根性や情熱により、「走れ! 走れ! 走れ!」とモノノフはおろか、他でもない自分たちにも向けて叫び、全力で走る彼女たちの姿は、撞着的な言い方になるが、「刹那的永遠」を獲得する。
その僥倖と破滅的な美に、私は涙することとなる。


そう、それは逆説的に言えば、ももいろクローバーが走ることをやめた時、アイドルとしてのアイデンティティが崩壊することを意味するからだ。
つまり、ももいろクローバーは、時限的な、mortalなアイドルというアンビバレントで唯一無二の偶像であるという事実をいやおうなく私に突きつけるからだ。
彼女たちの全力パフォーマンスは、前述のとおり、mortalな自らの存在をアイドルという存在へ昇華する、すなわちimmortalにする手段であり、レーゾンテートルであり、アイデンティティである。
その気高さ、美しさ、覚悟、情熱に涙せずにはおれない。
「永遠」に走り続けることはできないことによる、「脆さによる強さ」によって成立するこのアイドルと、「同じこの星に生まれて 同じこの時代に生まれてこれて 偶然なんて簡単な言葉ですれ違い離れてしまうなんて」ことを、私は看過できない。
永遠な存在たるアイドルであるはずなのに、その脆さゆえに儚い、ももいろクローバーという存在を、推さずにはおれないのだ。


彼女たちが走るのをやめる、ゴールとする地点が紅白の向こう側にある国立にあるのか、その先があるのか、また、いつ辿り着くのか、私にはわからない。
彼女たちに、次々と山の頂を目指させ、「走れ!」と鼓舞し続けてきた、川上アキラ氏にしか、わからないことなのかもしれない。
600円の弁当を食わせることも、彼女たちを全力で、ハングリーでいつづけさせる方便に過ぎないだろう。
彼女たちが満ち足りた瞬間、夢から覚めてしまうことを知っているのだから。
だからこそ、私は彼女たちが見せる「刹那的永遠」という幻とも現実ともつかないその伝説を、この眼に焼き付けたい。


だって、心の底から思うから。


「目に見えちゃうものなんて いつか いつか 消えていくでしょ? 目に見えないものだけを 全力 集めてみたい」
って。

*1:ここでは「レニ カナコ アカリ シオリ アヤカ モモカ」6人を対象にしているため、「Z」名義ではなく「無印」の記述で統一している。