「かりん」

溜まってた19話から22話まで視聴。
古典的な感じがするなあと思って見てたんですが、なんだ『ロミオとジュリエット』ですね、これは。うん、こういう正統派は大好きですよ。


第20話「はじめての・・・恥ずかしい」
あ〜、泣ける。杏樹が健気で泣けます。
かりんのために、大好きなお姉ちゃんのために、自ら憎まれ役を買う杏樹。
ブギ―くんを小道具に上手い見せ方で、ドラマティックで見事な演出でした。


第22話「迷い子みたいに恥ずかしい」
この話で『かりん』に対する不満がはっきりしました。というのはこの作品で描かれるといわれていた家族というもののあり方についてです。
人間と吸血鬼はほとんど光と影であって、住む世界が違うというのはわかります。ですが、そういう設定だけだと、真赤家の家族が薄っぺらく感じてしまう。
家族というのは人間が構成する最小の共同体単位です。その中には愛情と同時に憎悪が、清廉と同時に醜態が、フィクションと同時に現実が同居しているはず。でもいまいちそれがよくわからないんですよ。
時任麻希やウィナー・シンクレア、そしてエルダ・マーカーのかりんに対する感情は、愛憎入り混じっていて非常に人間らしく描かれているし、杏樹のかりんに対する想いも丁寧に描かれていてジレンマとして成立していて感情移入できるんです。
ただ、家族が描ききれていない。個人としてかりんと接しているキャラクターにはすごく感情移入できるんですが。