『大反省会 3年目のルサンチマン』を読んで

山本寛監督、辛矢凡特技監督によるスタジオ枯山水のHPにある『怨念戦隊ルサンチマン』の反省会を読んでの感想です。
私は特撮に詳しくないし、勿論『ルサンチマン』も見たことないですし、自主制作で映画撮ったこともないので専門用語をググりつつ、ひーひー言いながら読んだんですが、山本寛氏の映像制作に対する興味深い発言が盛り沢山で非常に楽しく読ませていただきました。
以降無断で引用しまくります(←暴言)。


出来るだけ短くして、「今の何だったの!?」くらいのモノにすれば、スベってもダメージ少ないかなと考えたの。これは全篇のカット割を通して言えるんだけど、こんなパロディ映画なんだから、あっという間に終わる位で丁度いい、とにかくダラダラいって観客を疲れさせるのだけは恐れたね。「受けるためには手段を選ばない」というテーマの裏には「いかにスベらないようにするか」というのがあって、いろいろ考えたね。

↑山本氏のカット割のリズム感に対する考え方の端緒が覗えます。


何度言われても、イマジナリーラインは分からない。感覚としてない。信じてないもん。目線を合わせりゃいいとか言うんだけど、日常会話でそんなに目線気にして喋ってる?みんなあらぬ方向いて喋ってるのが普通なら、そんなに拘らなくていいと思うんだけどなぁ。
↑目線における連続性の感覚が凡人とは違うようです。カットの割り方にけっこう表れてますね、この感覚。


山:じゃ敢えて偏見込みで言うけど、俺はこの「イマジナリーライン」ってのは、そりゃ映画100年を支えて来た黄金律には違いないんだろうけど、もう観る側の中にリアリティとしてない、と思ってるの。岩井俊二も言ってたけど、「アキレスと亀パラドックス」になりかけている。今はもう、みんなMTV作品を観慣れているでしょ?それに親から「人様と御話する時は相手の目を見ろ!」なんて教わらなくなった。そんな時代下にあって、未だにMTV出身の監督が作品中でイマジナリーライン無視しているのを「映画を解ってない」って蔑む評論家っているけど、映画を愛してるのは解るんだけどもう少し映像文法の今日的意味について考えても、バチは当たらないんじゃない?って思う訳。でないと形骸化した不文律に多くの作家達が足を取られかねないよ。それって全く無意味やん!
辛:確かに、ひとつひとつの映像文法について、もっと開かれた議論が行われても良い筈なのに、信じてる人とそうでない人とがバラバラに映像を語っている。それってキツいよね。
山:技法書なんか読んでても、イマジナリーラインについて書いてないのもあるし、書いてあってもチョロチョロよ。きっとクレショフあたりが書き起こした凄い論文がある筈なのに、誰もそれを叩き台にすらしないで、ただ呪文みたいに「イマジナリーライン守れー」って唸ってる。気味が悪いよ!
↑ちょっと長いですがけっこう重要だと思うので。山本寛氏が主張しているのは第一にイマジナリーラインが形骸化しているということ。第二に擁護論者が筋道立った論理によってイマジナリーラインを保守すべきであると主張しているのではなく、単に権威に拘泥しているだけなのではないかということ。映画論を語るほどの造詣はないので、イマジナリーラインの可否はよく分かりませんが、山本氏の論理構成は正鵠を射ていて、さすがだな、と。単純に権威主義者をばーかと蔑むのではなくて、自身の主張の根拠を示した上で、擁護派に主張の根拠を要求し、反論の余地を残している。議論の正しいあり方ですね。


とここまでが第一回分。
引用元:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kanku/event1.htm


カットは目一杯切りまくる、カメラはあちこち振りまくる。ズームは寄りまくる、引きまくる。これで戦隊物の演出の5割はカバー出来る。
↑『涼宮ハルヒの憂鬱』でも同じことしてると思います(笑)。


山:映像は嘘を付く。当たり前なのよ。そこに創り手が「意図」を盛り込むんだから、偶然映ったような「現実」の画とは根本的に違う筈なのよ。どの映画だって、多かれ少なかれそう。ただこれをね、仕事場で言っても、これがなかなか解ってくれないの!
辛:をを、またここでも業界批判が。ていうか愚痴。
山:「この位置じゃ不自然だ」「良いじゃないの、誰も気付きようがないんだから!」「いやでも」この連続。「もっと自然に見せられる構図がある筈」とか言われても、例えば上の例にしても初めの画と次の画は、構図としてもこう欲しい訳よ。しょうがないやん。それで動きとして実際可笑しかろうが、見た目として不自然に見えなければ俺、嘘は付いても構わない。いや、寧ろ付くべきだ、と。そうでないと、映画が「虚構」の生々しさを獲得するには至らないんじゃあないか、とね。
(中略)

山:少なくとも、「自然さ」を追い求め「理屈」でレイアウト切って、結果「意味」と「見た目」と「面白さ」「格好良さ」を失ってしまって、それがホントに誠実な商売だと思ってるのかねぇ?
↑長いですが、一番肝心なところですので。個人的に上記意見に同意。私が神戸守小寺勝之演出に燃えるのもこのあたりの発言にかなり近いものがあります。ま、構図云々なんて撮った事ねえ奴に言われたくないと思いますけど(笑)。『ハルヒ』でのあり得ない滅茶苦茶(←誉め言葉)な山本アングルの片鱗が伺えます。というか、『ハルヒ』はやってて楽しいだろうな、山本さん。ま、シリーズ演出というものがどこまで毎回のコンテに口出ししてるのかわかりませんけども。


と、ここまでが第2回。
引用元:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kanku/event2.htm


全編通して読んで通底しているなあと感じたのは、山本寛氏は非常にテンポを気にする人のようだということ。カットを切りまくってテンポを出しているという発言が随所に出てきますし。
ま、偉そうに語るなら、『フルメタ』とか他の演出を見てからにしろよという話です(笑)。
ハルヒ』のDVDを買う気は全然しないんですが、『ルサンチマン』のDVDが発売されたら1本8,000円くらいでも買ってしまいそうなんですが(←ぇー)。