『カレイドスター』

第39話 「残酷な すごい 祭典」
迷走期といわれる第3クールですが、私はそれほど迷走しているとは感じませんでした。
第2クールまではレイラさんに追いつこうと必死に努力するだけで、背中を追うだけでそら自身が「絶対」を探求できていた。それがレイラさんがいなくなることでそらは自分が進むべき方向性が分からなくなるわけです。
これって自然なことじゃないですか。
つまり目的、目標としていたものを失したときに必然的に訪れるものだと思うので、仮にこれを迷走というのであれば、その「迷走」は予定調和であると私には感じられます。自分の進むべき道を暗中模索するための必然です。迷走という言葉が、そらの求める「絶対」に対する迷いにあるというなら分かりますけど。
要するに、レイラはレイラの方法によって絶対に近付こうとしているので、そらはそらの方法で絶対を希求するべきなのです。方法が違うだけで、求める価値は一緒。
そらとレイラにとってその価値を追求するために手段が一致していたのは「幻の大技」までであって、それ以降は第34話で描かれていたように違うわけです。ただし、レイラは「カレイドステージにおける」絶対性の探求という夢をそらに託したわけですから、作品の方向性が迷走しているというならば、それは見当違いであって、絶対を捜し求めるというキャラクターたちの行動原理は変わっていない。メイはメイの方法で、レオンはレオンの方法でそれを求めていることは明らかです。
まあ、そらを迷わせているうちに、スタッフも迷ってきたようで、レイラの登場が早まったという池田Pの回想録には苦笑しましたけど(笑)。

さてさてさて。

 次回(注:第37話)からは本当の低迷期と呼ばれる暗い展開が始まります。

 やっと温まった温度と反比例した展開。それによって、多くのファンの方から「見限られた時期」に突入です。ただ、“ここ”を我慢してつき合ってくれた(待ってくれていた)ファンがいて、同時に僕らとしては最高のテンション(=満身創痍)でクライマックスに向かうのでした。
ボンバーマンジェッターズ』もそうでしたけど、2クール目にもクライマックスがあるとどうしても3クール目は本当のクライマックスのための布石を、盛り上がりまくった後に打っていかなければならなくなるのでやっぱりちょっとシンドイですよね。一旦テンションを落とさなければいけないわけですから。
私は『カレイドスター』の構造は山岸凉子アラベスク』と同じ構造であって、前半部分は無我夢中でサクセスストーリーを駆け上がっていく主人公を、後半部分は駆け抜ける中で置いてきた自分の自我に目覚める主人公を描いている作品だとみなしているので、別に我慢してつき合ってるみたいな感覚はないですけどね。
http://www.style.fm/as/05_column/ikeda11.shtml

●ユーリのアパートにある絵が、幼女の絵で溢れそうだった話

 ユーリのアパートに飾られているユーリが自分で描いた絵。これは原画マンに原画を発注し、ハーモニー(原画を元に美術で仕上げる)にして、背景の壁に貼りつけています。

 この原画が、「幼い女の子」ばかりで上がってきてしまいました。

 作画打ち合わせの時、原画マンにおまかせにしたのが悪かったのですが、まさか、こんなに女の子の比率が多いとは……(w

 ちなみに担当したのは、上手い原画マンの某氏です。

 自分の部屋に幼女の絵ばっかり飾ってるユーリ、また、そこにそらを招き入れる図は、そうとう笑えるんですが、さすがにそれはダメ(w という事で、原画マンに描き直してもらいました。

 天使の絵を見るそらの横のアングルで、向こう側の壁に、その女の子の絵の名残があります(w
このコメントはウケました。個人的にすごく違和感を覚えていたシーンだったので(笑)。
http://www.style.fm/as/05_column/ikeda12.shtml