『涼宮ハルヒの憂鬱』

#3第五話 「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅲ」
すごいですね、やっぱり。う〜ん、すごい。
感嘆ばっかりしててもしょうがないので、何に感嘆しているか肝胆を砕いて簡単に説明すると(←洒落じゃないよ(ぇー)、多分私は山本寛氏に感嘆してるんだと思います、確証はないですけど。
今回唸ったのは第一にシナリオ、第二に演出、第三に作画の出来が凄かったと感じたからです。というかこの三つは、私がアニメに対して認識しうるほとんどすべての要素ですが(笑)。
シナリオと演出に唸ったのは多分同根の理由によります。というのも、山本寛氏は(見てないですけど)第1話の『朝比奈ミクルの冒険 Episode00』やスタジオ枯山水での活動でも明らかなように、映像畑の脚本家です。EDの絵コンテ演出もされてますし。
こういう映像畑の脚本家さんはト書きが映像描写に満ちているはずです、確証はないですけど。山本寛脚本時の演出は群を抜いて良いので、どこまで再現されているのか不明ですが恐らくト書きがそのままコンテになっているシーンは多いと思われます。長門キョンに対する説明のシーンなんかはト書きそのまんまだと思います、確証はないですけど。
あと、演出が実写っぽいんですよねやっぱり。カメラ位置がやたらとあおってたり、俯瞰がすごい多かったり。カットとか構図とかが実写っぽいリアルさを追求しているように感じます。でもそこに必ずアニメーション的な見せ方を付加しているというか。古泉の「手」だけで演技をさせるカットがありましたが、あれは実写っぽいカットですがアニメだからこそ、演出が思うままに動かすことができるので「手」による演技が成り立つんだと思います。
今回はほとんどぐぅの音も出なかったです。色々と情報量も多くて、見直すたびに違う面白さを見出すことが出来そうです。
キョンハルヒの名前がEDテロップで大きく載っていたのは、今回はツンデレラブコメだったからですか。


あと、今まで『憂鬱Ⅰ』は監督が、『Ⅱ』『Ⅲ』のシナリオは山本寛氏が書いています。ですので、構成の中核である『憂鬱』のシナリオに主力の脚本家である山本寛氏が全力投球するために、『退屈』の短編を別の脚本家で間に挟んで繋いでいるんだという考え方もあるかなあと、今回の話を見て思いました。
と言いつつ『退屈』はまだ1話分だけで、今までの5話分のうちの3話も山本寛氏が書いているわけですから、あんまり説得力ないですけど(笑)。