第4話での榎戸洋司氏の主張

私は原作未読組なので、doofratsさん(id:doofrats:20060507)やur5さん(id:ur5:20060507)が記されているように、既読者が感じているアニメにおける原作との乖離についてはよく分かりません。ですのでここでは単純に未読者の観点からアニメ版『桜蘭高校ホスト部』における榎戸氏の主張を整理したいと思いまして。なんて事を考えたのは第6話を見ていて、「ホストキング」環と「一般人」鷹凰子嗣郎を二項的な対立関係とすると、第4話を整理しやすくなるような気がしたもので。
ホストとは環が言ったように「不特定多数の女の子を喜ばせる」という一般的な方法を模索・実践する者で、一般人の場合は「特定少数の女の子を喜ばせる」という特殊な方法を模索・実践する者です。言い換えるならば、ホストというものはキャラクターにおいて一般化されたステレオタイプ性を有した存在となり、一般人というものはキャラクターにおいて特殊化された多様性を有した存在となります。私が第4話で感じたのはまさにこの対立関係です。
れんげの耽溺していた乙女ゲー世界は高度に一般化されたステレオタイプなキャラクターによって構築された世界です。しかし一般の世界には固定観念では推し量れないキャラクターも存在するんだよ、とハルヒに諭されたわけです。それも、諭されて気付かされただけであって、ステレオタイプな世界を否定されてはいない。
原作との乖離が指摘されている「枠」発言のニュアンスの違いは、原作を読んでいない私が言及するべきではないと思います。ただし、例の「レベルアップ」は、単にれんげの認識力の向上を示唆したものであって、それは即座に「枠」の否定へとは繋がらないはずです。なぜなら、比重やバランスなどはともかく、二つの世界はあくまでも対立関係にあるため、れんげの中で共有されているからです。それゆえれんげはラストでハルヒをゲームに誘うわけです。
第6話でも嗣郎はラストでホストキングになっており、ホストという「枠」を有しつつ、一般人という「多様性」を有するという対立概念が、融和的に一人の人間の中に存在し得ることを実証しています。対立関係は矛盾関係ではなく、相互を侵すことなく成立し得るからです。
れんげへの啓蒙が自虐ギャグに見えないのは、オタク世界と一般世界とが二項的対立関係にあるからであって、背反的な二者択一の関係ではないからだと私は思います。


何か榎戸信者による擁護論みたいになってるな(笑)。や、信者といえるほど榎戸作品を見てないですが。