『一寸法師 ちび助物語』(1935)

物理法則を無視した独特な動きの浮遊感と言葉のリズムの心地よさに酔う。
無声映画活弁は無用だ!、などといつもなら傲慢に言ってのけてしまうところだが、音節のリズムが手伝ってか活弁に付きまとう画面のリズムと齟齬する音声のあべこべさは感じない。
直前に山本早苗の説話的な教訓話(作品名は失念)を見せられたためか無意識に比較してしまうが、そのあまりの志向の違いには面食らった。人物の表情ひとつとってもまるで違う。
動きがリピートばかりであっても、少なくとも瀬尾は「アニメート」を志向している。ちび助の動きや鬼の所作など絵を動かすという「嘘」に魂を込めようという純粋な原理的営みが見て取れるのに対して、山本作品はその比重が明らかに軽いように見受けられる。というよりむしろ『ちび助物語』が漫画的なリアリズムを、山本作品が写実的なリアリズムを志向しているといった方が正確か。構図の面白さや同じ説話的な作品としての完成度は山本作品の方が高いとは思うが。


とかなんとか言ってみても僅かに1作ずつだけ見ただけですので戯言としてお聞き流しを(笑)。VHSデッキの調子が悪くて往生しております。