83年生まれの歴史語り

え〜とですね、密かに無断リンクしつづけている至好回路さんで今、オタク世代間の歴史観の違いとその断絶について熱い議論がなされていまして興味深く読んでいるわけなんですがまさにエヴァ直撃世代である83年生まれの歴史観というものを少し書いてみようかと思います。



エヴァからオタクに入った80年代生まれは、アニメが斜陽して、ゲーム全盛期を生きてきたために、アニメ体験・知識が乏しい。

これはまさにその通りで70年代オタクが当時放送されていたアニメや過去の再放送アニメ、特撮もの、ファミコンからスーファミ、PS、SSなどという次世代機といった一連の過渡期をリアルタイムで経験しているのに対して、生まれた頃にファミコンが登場してゲームバブル全盛の頃に自我が芽生えだす80年代オタク(←っていうか「私」個人のこと)はエヴァをくそ真面目に「物語」として熱中して見て、エヴァブームでオタク外から参入してきたサブカル的な、つまり一種のエヴァ信仰を受け入れてしまう。
しかし、70年代以前の(知識型)オタクたちはエヴァセラムン、Vガンに対するリスペクトを通じて発生してきたという一連の歴史的変遷を理解した上でエヴァを位置付けている。
エヴァをターニングポイントとして70年代以前のオタクと80年代以後のオタクとの間に溝が生じ、アニメにおける歴史観の断絶が生まれた。



>60年代生まれには割とあたり前のスキルだったスタッフ構成やアニメ史を元に作品を理解するという視聴スタイルが、70年代生まれ以降には、そのスキルが一部の人間を除いてほとんど継承されてこなかったという状況があったりします。(この辺はアニメージュの80年代と90年代の紙面構成の差が如実に物語っています)

私はこうした視聴のスタイルをCCSの神戸守演出がすごい面白いということに偶然気がついてそれ以降独自にキャラや声優に対する萌え路線ではなく知識収集型のオタクへと変化していくんですが、80年代オタクの多くはキャラや声優に萌えている消費型のオタクが大多数なんだと思う。
どっちが良いとか悪いとかではなく、そのとき消費してきた作品群やその環境による影響が大きい。
具体的に言えば、エヴァナデシコスレイヤーズシリーズなどといったキング&大月の一連の作品群における扇動で、或いはゲームバブル全盛期の美少女ゲームによって、キャラ、声優萌え路線にどっぷりつかってオタクを続けてきたから、そしてエヴァという一種の信仰から脱却できずにアニメの歴史観を喪失しているからである。
だから今、アニメ業界はきちんとマーケティングをして作品を企画しても、ただひたすら萌えキャラを登場させるだけの記号的なダメ作品とかを作っちゃうんじゃないだろうかと思うのは多分邪推(笑)。



だんだん自分でも筆力不足を感じてきたのでこの辺で止めときます(汗