『アニマル横町』

第8話 「どき☆どき 突っ込み道の巻」 / 「どき☆どき アニヨコシリトリの巻」
Aパートは久々の横谷脚本。
内容に触れる前に、やっぱりこの人は『アニ横』という作品の幹をちゃんと掴んでると思う。3匹と1人のキャラクターを原作に沿ったかたちで立たせられているのは横谷脚本の時だけ。
っていうか、『アニ横』は原作の設定とか世界観とか自体が滅茶苦茶ではっきり言って何でもありで、その自由度の高さから繰り出されるシュールさや不条理さがギャグとして成立する。その自由さの中で、原作が一貫して守っているルールは、キャラクターの遵守くらいしかないと思う。であるにも関わらず、アニメでは自由度の高い世界観で何をさせようかということが先行して、守られるべきルールであるキャラクターを蔑ろにしてしまっている回が多いのが個人的には残念。


とまあ、ボヤくのはこれくらいにして本編の感想に。
Aパートは前出の通り横谷脚本。原作を土台にして更に「突っ込んだ」内容で秀逸でした。
ケンタは突っ込みを止めるんじゃなくて、「暴力的」突っ込みを止めて他の突っ込みの方法を模索すればいいんじゃないの? という突っ込みを入れたかった(笑)。
見ていて感じたんですが、この話、ちょっと哲学的。ケンタが突っ込みを止めることで存在意義を失うところとか、4人(?)+ヤマナミさん全員でボケ倒して収拾がつかなくなるところとか、まさに突っ込み「道」。「突っ込みとは何か」ということを、アニ横トリオの中でのケンタの存在意義やボケとツッコミの切っても切れない関係などを描くことによって具体的に示していたと思う。


やっぱりギャグ作品っていうのは理屈っぽい人の方が向いてるのかも知れない。原作者の前川涼さんも自分のことを理屈っぽいと仰っているし、ギャグ漫画家は相対的に理屈っぽい人が多いと思う。この話を見てると、横谷昌宏氏もそうなんじゃないかなあと思ってしまう。
アニ横という自由空間はややもすると放逸な無秩序を体現してしまうが、その放逸さを律するもののひとつが論理であり、それゆえ横谷脚本が秀逸に感じるのだ、とまで言ってしまうのはきっと傲慢(笑)。