WEBアニメスタイル「アニメ様の七転八倒」

第25回 脚本家の取材は難しい
  第26回 美空ひばりと脚本や演出の評価


アニメの世界では決定稿になった脚本の内容が、絵コンテの段階でガラリと変わるなんて珍しくありません。あるいは決定稿になるまでに、監督やシリーズ構成の(あるいは、プロデューサーの)の手が入る事もあるわけで、どこからどこまでが脚本家の仕事かは一線が引きづらい。


脚本側と映像側という風に短絡的に単純化しますけど、他の映像メディアと比べて、アニメの場合、作品の雛型として脚本からコンテに至る間にグレーゾーンが大きくあるということは以前聞いたことがあります。
当日記では最近脚本ベースで感想を書くことが多くなっているのですが、一応上記のような点は念頭においている(つもり)です。ただ、どうしても「脚本」に言及したくなるのは、作品の質が脚本家に依存している作品というのが顕著にあると最近感じるようになったことに原因があります。
その作品というのは『アニマル横町』ですけど、『アニ横』の場合、脚本の書き手によってあまりにも作品の質が変化しているんです。AパートとBパートで全く違う質の作品になっていることも少なくありません(と私は感じます)。
脚本側と映像側の優劣がどんな力関係で決まっているのかよく分かりませんけど、少なくともシナリオ作家と映像作家としての個性や能力といった個人的な才覚や矜恃によるところは大きいだろうと思います。
というのも、大別して脚本家には自分の芸術性や表現の嗜好を追求するタイプと商業的な職人タイプとが存在しているようです。おそらく映像作家も同様で、そのあたりに(単純化すると)優劣関係があるような感じが個人的にはしています。
芸術性や表現の嗜好を追求するシナリオ及び映像作家同士は多くの場合、互いに反目し合ってしまうか、意気投合してコンビを組むことが多いのではないかと感じます。
あと、実写の場合はプロデューサー権限が非常に強い感じを受けますが、近年のTVアニメの場合、製作委員会方式の作品が多いため、プロデューサーは乱立していて作品に対して強い影響力を有しているとはあまり思えません。ラインプロデューサーは別でしょうけど。