『踊る大捜査線THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』(1998)

ちなみにTVドラマは未視聴です。
なんとまあ荒唐無稽な設定と青臭い主題!
これをクサす人は多分、上記2点から本作を論難しているのでしょう。しかし、それは本編で小泉今日子が言っていたように、「イメージによって物事を複雑にしているだけ」で、色眼鏡で物事を観すぎているような気がしてなりません。
何の先入観もなく(←嘘偽り)観た感想としては、単によくできたプログラムピクチャーだったなあというのが正直なところ。
まず脚本。サルでも分かるようにキャリア、ノンキャリアという二項対立を描かなければならないためにこの君塚良一のホンは過小評価されているような気がします。ドラマを彩る細部はじつに巧いです。頻発する事件によって青島が便所に行こうとしているところを邪魔されるところとか、地味な細部の積み重ねが丁寧。
同時発生する3つの事件の連関性の無さも、必ずしもホンの手抜きなどではなく、それが「湾岸署」での日常において普通というか当たり前だからなのではないかと。
つまり、本作のサブタイトルが「湾岸署史上最悪の3日間!」であることに帰結しているのではないかということです。副総監の誘拐と、署内での窃盗、猟奇犯の闖入という3つの独立した犯罪が同時に起こった湾岸署の「史上最悪な3日間」という日常を切り取ったものが本作であっただけのことであって、無理矢理な劇的シナリオを構築することは本作のコンセプトではないのだと。
しかし演出は何か必要のないカットが多すぎる気が(笑)。煙突の煙に気がつくときの織田裕二のクローズアップなんかいらんやろ。クライマックスで多用されたスローモーションとか、様々な箇所で散見されたフォローでの長回しが非常に気になる。特に柳葉敏郎が刺された織田を脇に抱えて廊下を歩くショットのスローモーションはちとあざとすぎ。オチが見えてるだけにじらされてる感じがして、ねえ。
冒頭ゴルフシーンのクレーンとか水面主観のショットとかは面白かったです。キレキレなオープニングのカッティングも思わず唸りました。
全然聞いてはいないんですが、冒頭部分ちょっとコメンタリーを聞いたら「如何にして本作とTVドラマの齟齬を無くすか」みたいなことがテーマの一つだったというようなことを言っていた(ような気がして)納得。なるほどこれはTVドラマの演出なのね。それにプラスしてTVでは使わないが映画では使うことのできるキャメラのショットを混ぜたのだと。どうも私はTVドラマの演出が不得手で(笑)。
ま、本作はサルでも分かるプログラムピクチャーとしての任を果たすために、脚本上でキャリア対ノンキャリアという大衆迎合の為の主題を前面に押し出しすぎているから評価されてないのでしょうが、それほどクサすものではないような気がするんですがね。すげーおもしれーとか言うつもりもないんですが。
で、なぜに唐突に『踊る』の感想なんぞを書いているかと言いますと、山本さん関連です(笑)。氏は『踊る』を馬鹿にしている似非インテリを某ノオトでだいぶ論難されていらっしゃったので「そんなにいうならどんなもんか」と思って観てみた次第でして。
なるほど、本作を冒頭に述べたように「荒唐無稽な設定」と「青臭い主題」という二つの視点から観ると、作品に対する視野が著しく限定されるような気がしましたね。これは氏が別に礼賛してやまない新海誠ほしのこえ』を論難する似非インテリの態度とよく似ているような気がします。
つまり作品ではなくて、設定と主題を論じるのは論点がずれているのではないかということです。というのも、設定や主題などは、視聴者によって共有された作品の背後にある「イメージ」の問題であって、作品そのもの、つまり眼前の「テクスト」を論じることとは、本質的な差異がある。ま、これは要するにセカイ系非難の矛先が「イメージ」のみに向かっていて、「テクスト」に向かっていないのではないかということを私が言いたいだけなんですが。この不満は巷で噂の『涼宮ハルヒ』と『エヴァ』の比較に対する言説についても言えるんですが、ま、私は全然読んでないため触れませんけど(笑)。というか前提の曖昧な「イメージ」の連関になんて全く興味が湧かない(←構造主義的!!)。
『踊る』を観ながら、『踊る』(=アニメ)は元々「荒唐無稽な設定」と「青臭い主題」で出来ているんだから、レーゾンデートルを否定しながら存在(=アニメ)を語る矛盾を指摘しているのかなあなどと全然関係ないことを考えていたりしたのでした(笑)。
それにしても、2時間は長いよこの映画(苦笑)。