『アニマル横町』

第29話「どき☆どき ねんどあそびの巻」 / 「どき☆どき お店屋さんごっこの巻」
Aパート、やたらギャグのテンポが早いなあ。やりたい放題のパロディと不条理に気丈に立ち向かうあみが原作テイストですね。粘土の説明がくどいのと話が綺麗にまとまっているところは違うけど(笑)。脚本は竹内利光氏。
Bパート、特に何もないですけど、くーちゃんとあみのウェイトレスコスが見所なんでしょうか。や、くーちゃんのウェディングドレス姿の方ですか(笑)。
次回予告によると先生(←伊藤静)があみちゃん家を家庭訪問するそうで。先生自体がオリジナルキャラですし、家庭訪問というイベントもまたオリジナル。というか最近原作の話がまるっきり皆無。
原作ネタに回帰する気は、最早制作スタッフにはさらさらないご様子。まだやってない原作の面白エピソード沢山あるのになあ。アニヨコ昔話とかやってくれてもいいのに。

『涼宮ハルヒの消失』

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

読了。もー貪るように読みましたよ、今回は。
先ず一番最初に言わねばならないことは、「すいませんでした、谷川流先生」ってことです。
4月23日の『退屈』の感想で、私は原作に魅力を感じないとネボけた発言をしてしまいました。ほんとすいませんでした。
今まで、キョンに全然感情移入できなかったんですが、それはただ、キョンツンデレであるということに気づいていなかった、私自身の読解力のなさのせいです。ヤツはハルヒの巻き起こす非日常的な日常を素直に楽しいと言えないんですから。たかがそんな程度のことも分からないで、原作ラノベに魅力を感じないなんて、タワケたことを抜かして本当にすいませんでした谷川流先生。バカです俺は。
『消失』の読後感としては、正直、感動しました。「どこで感動するんだ?」という既読者のツッコミも聴こえないことはないですが、でも正直な感想として本当に感動したんですよ。涙出ましたもん(笑)。
今までは単なる傍観者で、巻き込まれているだけだという意識しかなかったキョンが、自らの意志で元の世界へ、ハルヒのいる、SOS団のいる「非日常的日常」へと回帰することを望む姿が愚直なまでに表現されていて、すごくよかったです。
少し真面目な話をすると、『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品には、相対主義的な世界観、つまり今の世界とは違う世界を望めば手に入れられるという設定があるわけです。でも、キョンはそうした相対的世界観を、ある種の理想的世界を否定して、自分が帰るべき世界を「絶対」的な価値とする信念によって、「現実」世界に帰ってくるんです。
私は4月18日の『憂鬱』の感想相対主義的な世界観は嫌いと無駄にゴネて、でも作者はそういう相対世界を否定していたんじゃないかと思って、続編を読む気になったと書いたんですが、『消失』はまさに私が望んでいた相対主義の否定を真正面から描いてくれていて、手前勝手に溜飲が下がりました。

『涼宮ハルヒの憂鬱』

昨日の「原作を読んでない人置いてけぼりなんじゃないか」という論調に反対する理由の補足
私はストーリー構成を入れ子状にしているのは、原作未読者をおいてけぼりにするためではなく、制作側の意図を成就するための必然であると考えてます。
考えられる意図は、

  • 原作に忠実でありながら既読者を楽しませるための仕掛け
  • 未読者に対しては話を「飛ばす」ことによって既に起こったことを「謎」として伏線化し、ミステリー的な仕掛けとして利用するため
  • 全話終了時にもう一度見直すことによって作品世界を視聴者自ら再構築させる試み
  • 原作自体が主張している「時間」の相対性を表現する方法

等々が考えられます。いずれにせよ、作品を一旦解体して再構築するわけですから、大変な労力と覚悟が必要であり、意図なくそんな苦労をするはずがない。
未読者がついていけないという主張が大勢を占めるなら、京アニの目論見と予想は外れたと言わざるを得ないと思いますが、普通の読解力で作品を見ていれば未読者でもついていけると思いますし、そうした配慮はされています。だからこそ次回予告で「この話は実は○話です」とバラしているわけで。


ここから先はほんとに単なるタチの悪い穿ちすぎな冗談みたいな邪推に過ぎないんですけど、色々上にこういう意図で話数を入れ替えているのではないかと書きましたが、実は心の底では、これは「京アニがTVアニメ視聴者の読解力を試すためのリトマス試験紙」なのではないかという気がしています。つまり、サービス狂の京アニがTVアニメにおける視聴者は、どこまでをサービスとみなすのかという試金石としているのではないかという気がするんですよね。
映画やOVAなら、金を払って見るわけですから、その時点で視聴者は篩いにかけられていて、どの方向にどの程度のサービスをすればいいかという尺度が明確になります。しかしTVアニメの場合、視聴するのに料金はかからず、視聴率の良し悪しによって作品の良し悪しが決定されるため、様々な人々に見られるように視聴者に迎合しなければなりません。行き過ぎたサービスは多数者に理解されずに駄作の烙印を捺されます。『ヤマト』、『ガンダム』といった過去の名作が、低視聴率や打ち切りという非情な結果の後に大ブームを巻き起こしていることは、そのことと無関係ではないと思われます。
京アニって、『MUNTO』くらいしか完全オリジナル作品を作っている印象がないですが、なんか、京アニ発で世間を震撼させるような凄い作品を構想しているんじゃなかろうかと邪推したくなるんですよね。ほんと、何の裏づけもない便所の落書きですけど。


どっちが補足かわかんねえぐらい長くなっちゃった(笑)。