『涼宮ハルヒの憂鬱』
昨日の『涼宮ハルヒの消失』感想追記
相対と絶対といういつもの文脈で書いてましたが、私の思っていたことを端的に表現している文章を発見。
つまりは、『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品は、虚無性の肯定ではなく、むしろ、虚無性というものがあり得ることを認めたうえで、いかにしてそうでないことが可能かを、心のもつれの中に含みこませて描いたものである、ということです。→http://www.puni.net/~anyo/diary/200307.html#20030712
そうそう。だからこそ、『憂鬱』を読んだ後に続刊も読もうと思ったし、ニヒリズムがあることが前提で、それを相克しようとする『消失』におけるキョンの態度に感動したのですよ、ヘタレな自分は(笑)。
ハルヒ論を論じるつもりなんてめんどくさいからないですけど(ぉ、この日記は読んで参考になりました。や、全部読んでないですけど(笑)。