アニメ「オタク」と「ファン」の分水嶺

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2006/6/2付の感想・雑記について
リンク先を読まずに読んでいたので、途中まで分かるような分からないような感じだったんですが、終盤の「オタクではないコンテンツ消費型ファンが増えただけだ」という意見で諒解できました(と勝手に誤解しておきます)。
個人的なことを書きますと、私はオタク第3世代に属する人間ですが、「この人もアニメが好きなんだよ」とか紹介される同世代のアニメファンは十中八九コンテンツ消費型ファンです。もう鬱陶しいくらい。
紋切り型に「好きなアニメって何?」とか聞いたら「○○!」とか作品名と声優くらいは語るものの、作品についての論評や作画、スタッフ、作品に係わった人の過去の作品などにはあまり関心がないようです。
つまり、第3世代はほんとにアニメの歴史的継起性に関心がない奴が多いなあと感じるのです。ま、そこのところは私の非常に狭い個人的な経験によるものなので一般化できるとは思ってませんが、世代間ギャップを感じている他世代の方の参考程度まで。
ま、世代分けに意味があるのかという議論がありますが、総体としては意味があると肌では感じます。世代が違う個人対個人などの局所的関係で話をするときとかにはあんま意味無いと思いますし、偏見を助長するだけなら、ない方がいいかとも思います。
秋水さんはオタクとファンの違いを示唆する具体例として作画がわかるか否かということを書かれていますが、私は包括的な意味での歴史に関心があるか否かをオタクとファンの閾値としています。知っていなくても、知ろうとしているならオタク、どうでもいいならファンだと。というかそういうことにしておかないと、私自身がアニオタとしてあるべき知識量が絶対的に足りないので(笑)。
歴史的継起性に関心があるなら、作画の技術的変遷や人のつながり、制作スタジオの分岐や監督、脚本、演出のダイナミズムなど、アニメというものに係る人、物、金、究極的にはアニメという表現方法自体を多角的に解釈していく方向に関心がシフトしていくのは必然だと思うのです。それが作品を消費ではなく蓄積していくオタクとしての能動的なアニメとの関わり方だと勝手に思って勉強しているのですが、全然至らないのは不徳の限りです(笑)。
過去の作品に触れるチャンスは(金さえ出せば)、過去の名作のDVD化やCS専門チャンネルなどもあるため非常に多いと思うのですが、如何せん大量に消費型のコンテンツが流入してくるために阻害されてしまいがち。っていうか捌けねーよ。
蓄積されていく量も相対的に増加していくし、ネット環境がなければ蓄積型の第3世代は孤立無援なのではないかとさえ思ってしまいます。ま、ネット上でもそれこそ「消費」されるべき情報が有り余るほど流通しているため、「蓄積」されるべき情報をうまく取捨選択できないかもしれないという弊害があるような気もします。なーんて「消費」されるべき言説しか吐いてない自分が言うのも何ですが(笑)。

追記:「オタク向けアニメを見てれば間違いなくアニオタ」に対する違和感

今分かりました。「オタク向けアニメを見ているならばアニオタである」という文章を論理的条件文だとすると、この文章は必ずしも真であるとは限らないんですよ。
これは「オタク向けアニメを見ている」をAとして、「アニオタ」をBとすると、B⇒Aなら成立するんですが、A⇒Bは成立しないんですよ。AはBの部分集合なので。つまり、根拠と主張が逆になってる。
これは論理式的に書けば、B⇒Aすなわち「アニオタであるならオタク向けアニメを見ている」という命題が真であるとすると、A⇒Bすなわち「オタク向けアニメを見ているならばアニオタである」は命題の逆であるため、真であるとは限らない。
「逆は必ずしも真ならず」ということです。
(※集合論についての知識は曖昧なのでなにか文章が間違ってたら訂正します)