『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)

イマジネーションの連鎖がすごい。すごすぎる。飛躍と言うよりはもはや超越的。時空の跳躍を一瞬の省略と描線の多彩さで鮮やかに描く、これぞ「アニメーション」。
ベタで恐縮ですが、「我が道を行く」で散見された、デフォルメ世界とリアル世界をカッティング・イン・アクションで繋いだところには潔く降参。
本作は断片的な日常シーンを積み重ねることで、物語における主題の「常識的」な連続を放棄する。勿論、「非常識的」な主題の連続性はシーンごとの細部の連想によって淀みなく進行し、それが超越的なイマジネーションの連鎖と相俟って、アニメーションという表現手段が取り得る最上の飛躍の頂に達する。
ホンが説教くさいとかイデオロギー的だとか、んな言葉、本作に表れている高畑勲の天才には何の意味も持たん。
しかしこれだけ「アニメ」してる作品が売れ線にならないというのもやるせないなあ。
物語という言語的な面白さを追求すれば売れて、文字通りPictureとしての表現という視覚的な意識の戯れを追求すると売れなくなるのかなあ。
TVは言語的であり、映画は視覚的であるというハスミの言を借りれば、これもTVの弊害なのか。
それにしても、適当が目標とは。どの口が言うか(笑)。
ということで図書館にて『スタジオジブリコンテ集12 ホーホケキョ となりの山田くん』無駄に借りてきた。

ホーホケキョとなりの山田くん (スタジオジブリ絵コンテ全集)

ホーホケキョとなりの山田くん (スタジオジブリ絵コンテ全集)

ちょっとだけ触れます。
4-13の1カット目。まつ子の廊下での歩き走りの動きが気に入って巻き戻してここだけ何度も再生(笑)。

↑これ
コンテには「☆この歩き走り、小津映画の杉村春子(雁治郎)など往年の日本人のおばさんの感じ(カオを先に向けたりしない)」
とあり納得。ただのレトロスペクト(笑)。
それと、コンテではシーン頭にあるタイトル文字はほとんど出てきません。恐らくコンテ版のままでは何が何だか分からず、見ている人がついてこれないだろうという「配慮」の表れかと推察されます。
無惨に裏切られますが。


調子に乗ってついでに

http://nuruwota.blog4.fc2.com/blog-entry-913.html
期待大です。皮肉ではなく。
敢えて一言だけ。
「物語」は必ずしも言語によって説明されるわけではないのです。
それくらい分かってよお○ぎ。