『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004)

原作未読。っていうか読んでたまるか。
素人の私にさえ手に取るように次に吐くセリフが分かってしまう何とも言えない物語などには最初から期待などしておらず、行定勲3本目(正確には4本目だが『GO』は記憶にないのでノーカウント)の映画に、ただ瞳を凝らす。
とはいえ長々と語るほどの造詣はないのでひとつだけ。
本作では過去と現在、発病前と発病後、前進と退行という対立を、徹底したオレンジとブルーの色味の対比によって明確に描き出す。例えば無人島でのテラスのシーンで太陽からのオレンジ色の光線を森山と長澤の二人は身体全体に浴びることによって、逆光の中で影となって映る二人にとっての「今」が幸福の絶頂であることを示唆する。勿論その対立軸として「現在」のほとんどの画や長澤が病に伏してからのシーンにはブルーフィルターがかけられ、その粛然たる透明感を淡々と映し出す。当然ながら、ラストのシークエンスで大沢たかお柴咲コウが降り立ったオーストラリアのウルルの土質は、ラストの俯瞰を見るまでもなくオレンジがかった土色であり、その一面に広がる大地が二人の前途と心中を表象している。
物語序盤で既に死を義務づけられていた長澤まさみは、健康に駆け回っているオレンジの色味で画面に映っているときよりも、死へ向かっていくブルーフィルターのキャメラを通じたときの方が遙かに画面に映える。それはまさに彼女がハナからタナトス的悲劇を体現していたからであり、生き続ける間抜け面した森山との結婚写真での対比がその美を極大化している。
とはいえ水着シーンで露呈した長澤まさみの色気のない貧弱な尻は仕様とはいえあまりにも、ってもうええか。