『十二世紀のアニメーション』

そういえば本について感想を書くのは初めてです。といっても今後触れる予定はありませんけど(笑)。


そんなことはともかく、かなり今更な感じですが非常に面白かったです。もっとも、今まで連続式絵巻など見たこともなかったという自身の無学さからくる興奮が大いに含まれていることは否定しませんけど(笑)。
高畑氏の解釈が、連続式絵巻を「時間的視覚芸術」として捉えているため、従来の学説とは違った斬新な「映画的」視点で絵巻物が語られていくのはなかなかの快感でした。
右から左へと繰り展げる絵巻物の構造上、「キャメラ」は常に左への一方向のみの移動に制限されているわけです。その制約の中で、如何に十二世紀の絵巻物作者が知恵を絞って映像的な演出を施しているかをこの本は詳細に解き明かしていきます。
詳述は避けたいのですが、未読の方の興味を引くためにも軽く触れておきます(笑)。
とにかく様々に施されている映像的な工夫に舌を巻いたのですが、中でも衝撃だったのは、『信貴山縁起絵巻』飛倉の巻で、なんと「一種のイマジナリー・ライン越え」が行われていたこと。
それと『伴大納言絵詞』の「すやり霞」による一種の「フレーミング」技術。なんとこの一種の「フレーミング」によって「カットバック」的な演出までも行っている!
他にも倒叙法やアングルの変化、ドキュメンタリズムにおける十二世紀の連続式絵巻とイタリアネオレアリスモとの類似性、などなども非常に興味深い。
というのも、つまりはこの本が連続式絵巻を映画的視点から解き明かしているせいで、「映画の見方」のようなものを絵巻物という題材によって語っているという一種の倒錯に興奮しているんだろうなぁ。
まあそれはともかくいつものことながら7年遅れの大遅刻ですが(笑)、映画・アニメ好きにとっては示唆に富んだ名著だと感じたのでちょっと触れてみました。若干値が張るのでとりあえず図書館で探してみることをオススメします。



ただ、高畑氏の語り口がちょっと野暮すぎるきらいはありますけど(笑)。