『TAKESHIS'』(2005)
こういう映画をグダグダ解釈するのは面倒なので一点だけ。
本作は、北野映画を殺す北野映画である。
- 偏執狂的なファンの女が着ている服の赤・・・・・・『Dolls』
- 踊る女形やタップダンスのリズム・・・・・・『座頭市』
- 京野ことみの新体操を映す遠景ショット・・・・・・『あの夏、いちばん静かな海。』
- クレーンから映す道路の縦構図・・・・・・『菊次郎の夏』
- 頻発する画面の回帰性・・・・・・『キッズ・リターン』
- ゾマホンという黒人・・・・・・『BROTHER』
- 木の長椅子に並んで腰掛けるたけしと京野ことみ・・・・・・『HANA-BI』
- 冒頭の銃撃戦・・・・・・『その男、凶暴につき』
- 沖縄という舞台・・・・・・『3-4x10月』、『ソナチネ』
本作は映画内映画という文法の如何に関わらず、「たけし」という「私」が丸出しなのだ。「メジャー」及び「マジョリティ」に迎合したプログラムピクチャーとしての前作『座頭市』からの揺り戻しとして、「私」への回帰は必然といえる。ただ、かつての個人的な北野映画もこれほどまで「私」という個人性を前面に押し出してはいない。それでもこの独りよがりの「私」を、真っ当に映画として視聴者に魅せるのはサービス狂ゆえの才能なのだろう。
言うまでもなく、本作はたけしのピエロを描くことで、一個の北野武という映画監督を全体であるTAKESHIS'によって相対化し、精算した上で、TAKESHIS'の中から一個の北野武に戻る。その意味で、本作は前作からのリハビリと超克の映画なのだろうと感じる。だからこそ北野映画を殺す北野映画になっているのだろう。呆れるほど面白かった。
フルチンで出てきてフルチンで帰って行く姿を面白がる私は相当悪趣味だが、「私」とは恥部を含むものなのだから仕方ない。他人の恥部を覗き見ることほど、甘美なことはないのだ(それゆえ隠匿すべきものでもある)。