『アニメーション監督 原恵一』

注文していた『アニメーション監督 原恵一』(浜野保樹編、晶文社、2005年)が届き、寝食を忘れて読み耽った。かなり今更だけど。
原さんの「心のリアリティー」発言には特に共感した。
リアリティは、それが望まれるような「絵空事」である限りにおいて、外面ではなくて、仕草みたいなもの等から勝手に滲み出てくるものだと今は思っている。それは被写体の芝居であったり、被写体に近づいたり離れたりするキャメラであったり、衣裳であったり、言葉遣いであったり、息遣いであったり。
でもそれは「身体性」とかいう仰々しいものではなくて、身体と身体の「関係」で成り立ってるような気がしている。
だからプロットだけ先に作って、実際に身体と身体が関わり合う部分の肉付けはコンテで行っているという劇場『クレしん』の作業工程は、至極もっともだと思った。その積み重ねの上に原さんの追い求める「切なさ」があって、それを視聴者として受け取っている気がする。勿論、逆に理詰めで関係性をダイヤモンドの原子配列みたいに構築していくことでリアリティーを獲得する作品もあるのだけれど。
前エントリで、「もっとアニメを見よう!」と宣言したけれど、やっぱり「心のリアリティー」が希薄なアニメを見たいとは思わない。今のんびりと見ているTV版『クレしん』は、「心のリアリティー」という観点だけから見ると、ある回とない回の落差が激しくて、時々辟易する。
原さん演出回の「よしなが先生のお手伝いだゾ」は面白かった。画面に出てくる人物の関係だけで、話題が流転し続ける地味な日常、そしてラストの逸脱ぶりには参った。書いていて思わずまた見たくなって見てしまった(笑)。
そしてやっぱり、絵コンテを読んで泣いた。特に『オトナ帝国』はすごい。
「アジア放浪の旅スケッチ」には興奮させられました。ペナンに最近行ったので(笑)。


ところで、『河童のクゥと夏休み』のCMが今日の『天保異聞〜』放送枠で流れたこと、そして原作者の木暮正夫さんが今月10日に亡くなられていたことを遅ればせながら知った。


木暮さんはラッシュでも何でも、『河童のクゥと夏休み』を見られたのかなあ。もしそうでないのだとしても、御覧になって「これなら」と安心されて召されたのだと思っておきます。ご冥福をお祈りします。