『大日本人』補足

どうにも書いた後にしっくりこなくてもやもやしてたので、卑怯を承知で付け足し。


私が映画の中で感じていた「照れ」とは、提示されるだけでちっとも追求されないさまざまなテーマが多すぎるところ。というか何一つ描こうとしていないし、ただそれがそこにあることを示唆するに留まっていたところにある。
別にそれだけなら自己主張をしない慎ましく禁欲的な映画だなあと思うのだけれど、それをみな笑いで包括しようという態度に、私は松本人志の「照れ」を感じていた、というのが前回のエントリにおける「照れ」という印象に対する詳述。


しかし、今日ふと手に取った『日経エンタメ』の松本人志インタビューを拾い読みしたところ、ああ私の見方って主客が逆転してたのね、ということにやっと気付いた。
つまり、この映画にとっては笑いを描くことが目的で、テーマは副次的な産物に過ぎないのだろうということだったのでした。


松本人志は、「どうしたら笑いをとれるか」ということが思考の大前提にあって、笑いの手段として映画を捉えているのだろうと思った。「どうしたら笑いを撮れるか」についてはさほど関心がないのかもしれない。
笑いを軸にしてみると、あれほど散漫に感じた本作が(良し悪しは別にして)ストイシズムに満ちた一貫したものに見えてきたので書き足してみた。